マナカーブ理論の論理的背景
2012年6月15日各カードにはカードパワーがあり、それは等しい。
マナコストにはやはりマナコストパワーがあり、それは等しい。
場に投入されたカードパワーとマナコストパワーの合計が高いほうが有利である。
有利な場を長く維持することが勝ちに繋がる。
全ての仮定は基本的には正しくはないよ。
マンモスと丘巨人とかその差歴然だし。
ただし、正しいべきなんじゃないかな?
正しいという建前がないとTCGとして成立しないんですよ。
絶対的に強いカード群があったらそのカードを買い集めるだけのゲームになっちゃうから、トレーディングカードじゃないし、デッキを作る必要もない。
最強デッキが組めるまでひたすらパック剥くだけならソーシャルゲームと変わらない。
というわけで、TCGがTCGであるためには、販売戦略や背景ストーリー上の要請等の意図的な強弱を抜かせば、カード別のカードパワーとマナコストパワーは、厳密に同じとはいかなくてもある程度の範囲で公平であるというゲームに対する信頼があってもいいんじゃないかな?
今日の教訓
単独最強デッキの成立は、TCGが場所を選ぶ上に嵩張るソーシャルに成り下がったことを意味する。
マナコストにはやはりマナコストパワーがあり、それは等しい。
場に投入されたカードパワーとマナコストパワーの合計が高いほうが有利である。
有利な場を長く維持することが勝ちに繋がる。
全ての仮定は基本的には正しくはないよ。
マンモスと丘巨人とかその差歴然だし。
ただし、正しいべきなんじゃないかな?
正しいという建前がないとTCGとして成立しないんですよ。
絶対的に強いカード群があったらそのカードを買い集めるだけのゲームになっちゃうから、トレーディングカードじゃないし、デッキを作る必要もない。
最強デッキが組めるまでひたすらパック剥くだけならソーシャルゲームと変わらない。
というわけで、TCGがTCGであるためには、販売戦略や背景ストーリー上の要請等の意図的な強弱を抜かせば、カード別のカードパワーとマナコストパワーは、厳密に同じとはいかなくてもある程度の範囲で公平であるというゲームに対する信頼があってもいいんじゃないかな?
今日の教訓
単独最強デッキの成立は、TCGが場所を選ぶ上に嵩張るソーシャルに成り下がったことを意味する。
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